社名の由来

ORIGIN

まず「草木薫工房」という名称は、あまりなじみのない「名前」だと思います。よく間違われますが、決して染物屋さんではありません。

当社は、昭和62年11月、資格を持っていた「建築設計」事務所と「不動産」業で設立を致しました。当時のわが社の名前は、「インポートハウジング」でした。
外断熱工法はじめ、炭の埋炭・敷炭等を使いながら 様々に試行錯誤する中で、H12年3月に北海道で開発された「抗酸化工法」と出会いました。
抗酸化工法を使用した住宅の「新築独特の臭い」のなさと「暖房効果の大きさ」に、衝撃を受けました。
クリーニング屋さん、引越屋さんに“お宅は何か?特別ないいことをしていますね!”と云われるようになり、それから私共がつくる住宅に、
「草・木の臭いが薫る家」⇒『草木薫の家』と名づけるようになりました。

私共が作る「草木薫の家」は、「いやな臭いのない」・「暖冷房効果が大きく」・「静電気の少ない」家です。
私共が「提案する家」はとても、お客様には好評の家でしたが、私には、ひとつ、大きな不満がありました。

それは、お客様が「今、住む」には十分に納得もして下さり、喜んで頂ける住宅を私達は作ることができますが、あと50年、70年、100年後に…お孫さんや、そのお子さん達が(その時々でリフォームをしたとしても)はたして「喜んで頂ける住まいになるだろうか?」ということでした。
その思いからH15年3月、吉田桂二という建築家に一通の「手紙」を出しました。
「信州の地で、信州の風景にふさわしい、長く愛され 住みつがれる住宅をつくりたいのです。どうか ご指導して頂けませんか?」
電話が東京から来ました。
「吉田が一度、お会いしたいと云っています!」
早速、東京にとんで行き、私共が作ってきた家の資料を見て頂きました。
「あなたは八百屋かい」
…「ハァ?」
「お客さんに云われれば、何でも売るかい?それもいいが、あなたにしか作れないもので、勝負しなさい!」
「あなたが信州で、風土に合った家を本当につくりたいと思うのなら、協力しましょう!」

それから、わが社の「信州でつくる、長く愛される家」づくりの挑戦がはじまりました。
吉田先生から、「私と一緒に仕事をするのなら 今の名前ではダメだ。インポートハウジングではなく他の名前を考えなさい!」
…「ハイ!」
その後、社内で考えて、考えてできた名前が、信州の風土にとけ込む草木薫の家「草木薫工房」でした。

「草木薫工房」という名前の中に、私共の「家づくり」への願いと歴史が込められています。